工藝

福島県西会津町出ヶ原和紙

 

西会津町出ヶ原地区でつくられた出ヶ原和紙(いづがはらわし)は、江戸時代には会津藩の御用紙として使用され、さらには民衆の地紙として地区の多くの集落でつくられてきました。その後、昭和30年代に生産が途絶えますが、2016年に地元有志の方々が協力し復活させ、出ヶ原和紙づくりを行っています。原料となる楮(こうぞ)は、地元に自生するものを使用し、楮の刈り取りから、蒸し剥ぎ、皮むき、煮塾、ちりより、手打ち叩解、紙漉き、板干しなどの多くの工程を伝統的な方法ですべて手仕事で行っています。

木目模様が美しい。

漉き重ねた紙をゆっくり圧搾し、水分を減らした後、立てかけた木の干し板に刷毛を使い紙を一枚ずつ貼り、紙が乾いたら完成です。この際の干し板の木目が紙の模様となります。干し板の木目は指先の指紋のような役割をし、濡れた紙が滑り落ちないという製作上の利点もあるという。

「出ヶ原」の名は「伊豆の国」から来た者が紙漉きを伝えたことに由来するといわれ、その出ヶ原和紙の起源は平安時代にまで遡るという。「信仰心が深い地域の近くには和紙の産地あり」と聞いたことがありますが、写経が仏教普及の大きな役割を果たしていたことから大量の紙が必要だったのだろうと思われます。平安時代、高僧・徳一が磐梯山の麓に建立した慧日寺を中心として、会津地方が「北の仏都」といわれるほどに仏教文化が栄えた理由のひとつに、この出ヶ原和紙が果たした役割は大きかったのではないか、そんなことも想像してしまいます。

 

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