「 城造りの名手がつくった小峰城と白河の町並み 」

 

福島県白河市周辺を見てまわりたいとおもい旅にでました。(1/3)

 

「 城造りの名手がつくった小峰城と白河の町並み 」

 

1627年、時は3代将軍徳川家光の頃。

配置換えになり、幕府から奥州諸大名の監視役の密命を受けたといわれる丹羽長重(にわながしげ)が藩主として白河の小峰城に入ったことで、居城としてふさわしい規模の城郭・城下町に変貌するための大きな契機となり、現在の白河の町並みの基礎が築かれたようです。

丹羽長重は、織田信長の重臣 丹羽長秀の長男。長秀は信長の天下統一に貢献した織田四天王(柴田勝家・丹羽長秀・明智光秀・滝川一益)の一人に数えられたとても優秀な武将。信長から「友であり兄弟」と言われるほど深く信頼され、城造りの名手として安土城の築城の責任者でもあった。そんな長秀を父にもつ長重もまた城造りの名手であったそうで、4年の歳月を費やし東北地方では珍しい総石垣造りの城へと大改修させた小峰城はとても立派でなかなか見応えがありました。小峰城は、盛岡城、会津鶴ヶ城と共に東北三名城の一つなのだとか。

JR白河駅前を歩く。県立図書館で借りた白河の古地図と照らし合わせると、街道の曲がり方など戦国時代の頃と変わりがなくワクワクする。旧奥州街道は現在はそのまま国道294号となっており、小峰城の正面の大手町で街道が防衛のために大きくクランクしている。町名も郭内、鍛冶町、大工町、細工町、勘定町、巡り矢、会津町など歴史を感じさせる。小峰城西側に広がる会津町は、白河も領地としていた会津の蒲生家が改易となった際に多くの浪人がでたが、棚倉から白河に移ってきた丹羽長重が、これらの家臣を召し抱え住まわせたため「会津町」と名付けられた。

丹羽長重の墓があると知り寄ってみる。よく整備された静かな公園に長重の大きく立派な墓がある。長重は67歳の時に江戸で亡くなるが、遺体はこの場所に埋葬された。

 

 

過去のブログはこちら

PAGETOPPAGETOP