「 東北の島原 」 大籠キリシタン殉教の地2025/01/27
宮城県登米市周辺と、登米を流れる北上川を見てまわりたいとおもい旅にでました。 (3/1)
「 東北の島原 」 大籠キリシタン殉教の地。
宮城県登米市から車で35分ほど。
宮城県北東部、岩手県南部の県境付近。この地域は江戸時代には仙台藩だったようですが、長崎・島原の乱から3年後の1639年から3年ほどの間に徳川幕府のキリシタン弾圧により、キリスト教からの改宗を拒否したとして309名の信者の処刑が仙台藩によっておこなわれた東北地方最大のキリシタン殉教の地であるという。
当初、幕府のキリシタン禁止令が発布されてもキリシタンに寛容だった伊達政宗であったが、幕府からの強い圧力があったようです。凄惨な歴史ではあるが、仙台藩の役人もむやみやたらに処刑したわけではないようで、一人一人に改宗の意志を段階的に確認したうえで処刑をしていたということが展示資料から見てとれました。
この周辺には一関市で運営している資料館や教会、史跡などが点在しており、「309」の階段を登った丘の上にも関連施設があります。最も多くの殉教者を出した場所が「地蔵の辻」。2年にわたって178名が処刑されたという。地蔵の辻と細い県道を挟んで置かれている石が「首実検石」。仙台藩の役人がこの石に腰掛けて処刑の検分をしたと伝えられている。さらにその近くには94名が処刑された「上野処刑場」、集落への岩手側からの入口の街道沿いには12名が処刑された「トキゾー沢処刑場」や、踏み絵を行った「台転場」など数多くの史跡がある。処刑場の多くが街道沿いにあるのは、改宗しないとこうなるぞ、という見せしめのためだったという。街道は現在も周辺住民の生活道路となっている。
昨年夏に宣教師フランシスコ・ザビエルが初めて日本の地を踏んだ鹿児島県 指宿市 山川町の山川港に立ち寄って、そして今回の大籠キリシタン殉教の地。当時の徳川幕府は、西欧列強国が日本国内のキリシタンを利用し幕府の転覆をくわだてる不穏な動き察知し、それを阻止するために強行なキリシタン弾圧を行ったようです。