「 クニンダ(久米村)という街」 現在の沖縄の「異国情緒」に大きな影響を与えた街。2026/02/03
クニンダ(久米村)という街。
琉球王国の交易を支えた那覇市久米。
クニンダはかつての「久米村」の通称であり、現在の那覇市久米の古称です。彼らの定住が現在の沖縄の「異国情緒」に大きな影響を与えました。
かつての明(中国)や日本、東南アジアとの交易によって栄えた琉球王国。その交易を担う中心的な役割を果たしていた人々が住んだ街、それが現在の那覇市久米(くめ)、当時の久米村です。クニンダは「くめ」の沖縄方言の呼び名だという。
クニンダの人々は、明が琉球と冊封関係(国際秩序関係)を結んだ後、1372年に明からの支援を受けて福建省から琉球に招かれたそうです。高い技術を持ったこの専門家集団は、造船や建築、航海技術、外交文書の作成、通訳、交易の実務などを琉球に伝え、その後の琉球王国の国際交流や交易を大きく発展させたそうです。
クニンダの人々が久米村に定住したことにより、中国をはじめとする様々な国の文化や学問が琉球にもたらされ、沖縄独自の文化形成や発展に大きな影響を与え、現在の沖縄に残る異国情緒あふれる風景の一部となりました。
1400年頃は、波上宮から若狭・久米・松山あたりが一つの小さな島だったそうで、首里とは海を隔て離れており、クニンダは江戸時代の長崎の出島のような自由な雰囲気だったようです。その後、交易の増加などにともない1451年にクニンダと首里を結ぶため琉球王国が全長1kmの海の道「長虹堤(ちょうこうてい)」を建設。海の浅瀬を選びながら石垣を積み上げた道や石造アーチ橋を組合せた道だったそうです。石造アーチの構造は読谷村にある世界遺産・座喜味城の城門などにもみられ、これらの建築技術が応用されたようです。その後はさらなる人口増加にともない大正時代頃まで断続的に埋め立てがすすめられ、現在のような地続きの那覇となりました。
波上宮の入口にある大きな鳥居のすぐ近くにある赤い建物「天尊廊(てんそんびょう)・天妃宮(てんぴぐう)」は、当時のクニンダの人々により創建された中国固有の宗教である道教寺院で、「天尊は悪を滅ぼし民衆を救う道教の神」 「天妃宮は航海の安全を守る女神」 「関帝廟は武神であり財神でもある関羽」 「水害を防ぎ海や川の守護とされる龍王殿」 が祀られています。現在でも綺麗に整備され、地元の人々に大切にされていることがうかがえます。ここは琉球王国の発展を支えた当時のクニンダの人々の歴史の足跡を感じることができる場所です。


