「 福島市の桃栽培の重要な水路、栗本堰の円形分水工 」

 

 

福島市西部・大笹生。

東北道と東北中央道が分岐する福島JCTと、桃畑が広がるフルーツラインの間あたりにそれはある。

 

阿武隈川の支流・松川に水の取り入れ口を設け、農業用水を一定の割合で安定的に正確に公平に分配する利水施設である栗本堰の円形分水工(くりもとぜきのえんけいぶんすいこう)がある。総延長約38.5kmの水路を持つ。

太平洋戦争終戦の翌年、昭和21年から25年にかけ造られたコンクリートを材料とした栗本堰の円形分水工。戦後の復興には食糧の増産が不可欠であったが、当時は国内事情も安定せず多方面で激変のとき、工事の進捗においても幾多の困難があったようです。戦後直後の日本ではコンクリートやセメントは非常に貴重な材料だったという。

昭和20年代当時における円形分水工は、非常に画期的な施設とされていたようです。特に農業用水の公平な分配という課題に対して、技術的にも社会的にも革新的な解決策を提供した点で高く評価されているという。

栗本堰の円形分水工は、川からの水を円の中心部に湧き出させ、周りに設けられた28個の分水口から、それぞれの作付面積により福島市大笹生地区に10口、福島市笹谷地区に18口として農業用水を分配。この構造は分水量の公平性が維持され、水量の調整も出来る構造になっているという。

稼働から80年近く経っていますが、改修などもされることなく今も現役。終戦直後の施工とは思えぬ美しさと機能美である。当時の周辺地域は水田と桑畑が広がっていたと思われますが、1960年代から桑畑は桃畑へと転換されていきました。この円形分水工ができたことによる安定した水の供給が、果樹栽培への転換を後押ししたようです。この栗本堰の円形分水工は単なる利水施設ではなく、福島市北西部の農業構造を根本から支え、福島市の農業と地域社会の礎を築いた象徴的な存在なのだそうです。円形分水工の横の桜の下には「水神」の石碑がある。

 

 

過去のブログはこちら

PAGETOPPAGETOP